自分の存在を肯定できるのは自分だけなのではないか?②
他人から生を望まれること
親というものは子に生きて欲しいと願うものだという。全てがそうとは言い切れない。
俺の親も生きていてほしいと何度も口に出して言ってくれたし、そんなことは当然ともいえる態度で接してくれていた。
友人からも、そういうことを何度も言ってくれる人がいる。時に涙してくれる人もいる。
「君が生きていてくれるならば、それでなにもかも許そう」という意味の言葉を口に出してくれた人もいた。
だが、同人が言った別の言葉が俺にはどうも引っかかって仕方がなかった。
「君が生きていていいのは誰かが君の生を願っているからだ。赤ん坊を見てこいつは存在価値がないから生きていても無意味だと思うかい?」
赤ん坊のくだりは確かにその通りだと、すっと胸を突き通した。まち針に刺された標本の昆虫のように、俺の記憶に残り続けるだろう。そして今後の思考においても重要な位置を占め続けるだろう。今回出てくるかはわからないが。
自身の肯定のために
気にかかったのは前段である。
地球上の誰か一人にでも願われているなら、自分は生きていてもいい。
それは確かにその通りだけれども、利己主義の塊のような自分にはどうも違和感が拭えない。
理由を事細かに説明することは、虫けら並みの脳みそでは書くこと能わない。
おそらくは、前回書いたように、今まで苦しめられてきた他人からの目、つまり、他人からの評価(それがたとえ主観的であろうとも)のみで自分が立脚しているということが不快なのだと思う。
生きたいのに、自分を苦しめる他人からの目という存在を無くすためには、他人の目を気にしなくて良い内部に生きる理由を造る他ない。俺が答えを創るしかない。
それは他人を受け容れ、自分を受け容れることにも繋がると思うのだ。これからを生きるために、自分で自分自身を肯定できる気がするのだ。
自殺する理由
『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?』という書籍がある。
どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/11/22
- メディア: 文庫
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著者の中島義道という方は、哲学者である。まぁ偏屈な人である。
この本の中で、彼は自身の知っていた学生が自殺してしまったことを書く。そこにこう書かれている。以下引用。
「先生。どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのでしょう?」
「きみが死んだら、ぼくは悲しい。だから、死んではいけないのだ」
中島は、結局のところ、自殺してはいけない理由は現状これのみだと言い切る。
どうして今死んではいけないのか。生きるのはこんなにも辛い。死んだ方が救いになるようなことだって、人生にはたくさんある。それなのになぜ今死んではいけないのか?
中島は、俺の知り合いが言ってくれた言葉そのままのことを本書の中で何度も述べる。
そして、同時に、考えることを放棄してはいけないとも言うのだ。死ねば、今我々が死後の世界を一切知らない以上、現世での思考を全て打っ棄ってしまうことと同じなのだから。
高校の時にこの本を読んで、衝撃が頭脳を貫いた。
それが本当に人の口から出てきたことにも正直吃驚した。
そんなことを思われるほどの人間ではないのに、としかその時は思えなかった。
だからこそ、俺が規律を立てなくてはならないのだ。